写真家の目に映る滅亡と廃墟。その先。 杉本博司 ロスト・ヒューマン 2016-Oct at東京都写真美術館
杉本博司のロストヒューマン展がすさまじかった。
杉本博司は写真家じゃない。
コンセプチュアルアートの作家なんだと
叩きつけられたようだった。
2年の長期休館から復帰する日本を代表する写真美術館である
その総合開館20周年の記念展覧会が
世界中で評価される写真家、美術家杉本博司のロスト・ヒューマン展だ。
杉本博司作品のファンの私は、楽しみにでかけた。
彼の歴史の集大成のような展示を期待して。
ただ、入ってみると
その展覧会の広大のフロアにはほとんど写真が出てこない。
それにまず驚いた。 写真美術館の復帰一回目の展覧会で写真がなんて!
しかも杉本博司の展示なのに!
写真の代わりに
廃墟のような未来のような。映画のセットのような空間が広がる。
作者の言葉を借りればそこは文明の廃墟だ。
その文明の廃墟の中ででいかにして人類が滅んだかを政治家、コンピュータ技師、漁師など様々な立場の登場人物が語る手紙が置かれる。
一枚だけ入り口に置かれる彼の作品
<ガリラヤ海 ゴラン>
彼の作品の特色は大地と海と水平線だけの絵画のような
原始の人々も私たちも同じに見たであろう
変わりのない世界を映したような作品たちだ。
彼の文明の廃墟のインスタレーションを見ていると
この作品たちが世界中から人類は失われてしまい。
ただ、人類のない地球を海と大気を映したんじゃないかという気がしてくる。
そしてこの人類終焉を見届けた人たちの言葉に杉本自身の
現代へのメッセージ 作家としての矜持そして少しのユーモア
がこれでもかと繰り返し込められている。
一節だけ引用する。
”今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。後記資本主義時代に世界が入るとアートは金融投機商品として。株や国債より高利回りとなり人気が沸騰した。若者達はみなアーティストになりたがり、作品の売れない大量のアーティスト難民が出現した。ある日突然、アンディ・ウォーホールの相場が暴落した。キャンベルスープ缶の絵は本物のスープ缶より安くなってしまった、そして世界金融恐慌が始まった。瞬く間に世界金融市場は崩壊し、世界は滅んでしまった。アートが世界滅亡の引き金を引いた事に私は誇りをもって死ぬ。世界はアートによって始まったのだから、アートが終わらせるのが筋だろう。
”
現代のアートの状況の批判危機意識、美術家の矜持、ユーモアが絶妙なバランスで配置されていて気持ちがいい。
今回の展示は3階(入口)、2階にわたって展開されるが
2階ではかれの作品 劇場の発展系ともいえる
廃墟になった劇場にスクリーンを張り直し撮影した
ロストヒューマンの展示の意味合いを受け継いだ新作
<廃墟劇場>
が展示される。
ここにも彼の短いメッセージが加えられ そこにある写真と
言葉が私たちの中で私たちだけの映画を映すよう促す。
そして最後には33間堂の仏像を10年以上にわたり撮影し作品にした
<仏の海>が広がる。
杉本博司は68歳の高齢といっていい作家である。
だから、回顧展のようなものを期待した私は本当に愚かだった。
彼は今も新しい作品を表現形態の幅をも拡げながら世に問い続ける
現役のコンセプチュアルアーティストであり写真家だと
世に示す素晴らしい展覧会だった。
世界は滅んでも彼の創作意欲はその滅んだ世界さえ飲み込んで
拡がって行くんだ。