万引き家族とケイト・ブランシェットとインビジブル ピープル
少し前のカンヌの審査委員長はケイトブランシェットだった。その時に話した言葉をなぜか最近よく思い出す。彼女は、「今回の映画はインビジブルピープル(見えない人々)を描く映画が多かった」と語った。
なぜ、ケイトブランシェットの言葉がずっと引っ掛かっているのかを考えている。
映画が時代を切り取るとはどういうことだろうか。 たしかにそこにいるにもかかわらず、社会の中で語られなかった人々を、作品の中で浮かび上がらせることなんじゃないかと思う。
『パラサイト』『万引き家族』『ジョーカー』
はそういう作品だったように思う。 上映当時を知らないから、わからない部分もあるのだけれど『タクシードライバー』もそういう作品かもしれない。
彼女が言う『見えない人々』が表れる時代とはどういう時代なんだろうか。
イーロンマスクやスティーブジョブスのような時代を牽引するスターはよく見える。
だからどんなに過去の世代と違っていても、新しく世の中を変化させ、引っ張っていく人が見えないわけではない。
で、あるならばむしろ、時代の変化が押し出し、傷つける人たちこそが見えない人々になるのではないか。
そのような人々を目の前にいるかのように描くこと、そしてそういった人々を描くことを通じて、現代を浮き彫りにすること。
それが優れた作品が実現していることなんだと思う。 だから、それを突きつけた彼女の言葉が心を離れないんだなと思う。
ただ、それだけがこの言葉を思い出す理由ではない。
もう一つの理由はきっと、治安の良かったはずの日本で教科書で見たような事件が起きていることだ。
何かが利用し傷つけながら「見えない人々」にされてきた人々
そのことがきっとこの言葉を何度も何度も思い出させたんだろうな。