MENU

dailyclubselect’s diary

音楽、文学、写真のLIVEレポート

アリシア・キーズの『here』が今年度最高アルバムなんじゃないかと思うことについて Alicia keys here

特にアリシア・キーズに思入れがあったわけではなかった。 

 

けれど

M1 the beginning から M2 the gospel の流れは

荒野に協会が立ち上がっていくようで鳥肌がたった。  言葉が、リズムを巻き上げて教会になっていく。

 

タッチの強いピアノにシンプルなビート

大地から湧き上がるような力強くセクシーでありながら 説得力のあるボーカルが胸に響く。

 

MTV アンプラグドを復活させたアリシア・キーズの四年ぶりのアルバムは本当に素晴らしかった。

 

 

母親になったアリシアの文字通りの肉声が伝わってくるようだ

愛が社会と彼女を強く結んでいる。

 

彼女の映画のクライマックスを思わせるようなボーカルの力はもちろん変わらないが

音数はぐっと少なくシンプルになっている

シンプルなリズムやアコースティックギター

縁取られた彼女の声は よりメッセージを伝えるのにふさわしく、同時に親しみやすく感じる。

 

ro69.jp

 

M16 holy war で
私たちは自分を閉じ込めて
私たちは互いを嫌い、恐れて 壁をつくってしまうことはあるけれど

少しずつオープンになれば
私たちはおたがいを癒して、埋めあえるんだと歌う。
私たちは誰かを愛すべきなんだ
お互いをもう少しケアすることができるのだと

 

これはついに大統領になってしまった民主党の大統領のアメリカとメキシコの間に移民排斥のための壁を作ると公約していることや、Brexitのような世界中にひろがる孤立主義の影響が明らかに、色濃く映っている。

 

彼女は

政治的なメッセージを歌うアーティストに影響を受けてきたのに 若いころは政治について語るのを恐れていたという

それが今作では正面から向き合う。それを可能にしたのもシンプルに経験だという。  

その短い言葉には 出産、アーティストとしてのキャリア、人間、音楽家としての成熟その全てがつまっている。

そしてその経験がこのアルバムを過去最高のもににしている。

 

 

rollingstonejapan.com

 

 

アリシアは社会と、時代と向かいあう。

でも社会を恐れない。  

 

何故なら

その手は子供や家族とつながれていて その背後にはプリンスもマービンゲイもボブマーリーもいるから。

 

 

 

www.youtube.com

 

ヒアー

ヒアー

 

 

itunes

HERE

HERE

 

5年後の自分へ

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

 

はっきり言えるのはアメリカの大統領が今よりは真っ当なひとになっているよ。

できれば我が国の総理大臣も。

 

自分と違う人々を拒絶するのではなく

認め合って 喜びや悲しみをわかちあえる世の中を5年後もさの先も望みます。

 

 

アメリカはジョーカーを引いたのか トランプ大統領の誕生日

なんて日だっ!

www.huffingtonpost.jp

あの暴言ばかりのトランプが アメリカの大統領になった

その理由として説得力があるのは下記の二つの文章だ。

 

映画監督 マイケル・ムーアのこの文章。

www.huffingtonpost.jp

そして下記の文章

www.newsweekjapan.jp

アメリカの白人層でも 貧しく、変化に取り残され

移民や、テロや、産業の変化を恐れていた人たちに

トランプは受け入れていたんだ。

 

 

ただ、 イスラム教徒は入国禁止にしろ

日本は北朝鮮と戦えばいいし、米軍が日本を守っているんだから

もっとお金をアメリカに払った方がいいと発言するような人物が大統領になるなんて

nyaaat.hatenablog.com

 

そして、大統領選の出馬もTVのリアリティーショー

のための売名行為だと思っていたのに。。。

 

勝利が決まった時のなぜか浮かない顔も話題に

blog.livedoor.jp

 

英国がEU離脱したBrexitのように

トランプ氏の発言にも見え隠れする

国際協調より 離脱、分裂の動きが多くなってきてる。

これがこれからの国際社会の中心的な流れになってしまうのか

 

 最近では、トランプの一連の発言は、大統領選に受かるための

アピールで、実際には現実的な政策を打ち出すのではという意見もある。

ただ、その過激な発言を支持した有権者がいなければ彼は当選していない。

 

それに彼の支持者をすぐ裏切るような政策に舵をきる彼のモチベーションは

どこから生まれてくるのだろうか。。。  

あまりにも荒唐無稽な彼の政策を

認めることができず冗談だと思いたいと言う私たち受け手の気持ちが彼の意見

は一種のアピールだという意見には見え隠れして 私はより、不安になってしまう。

 

トランプ大統領の報を受け

レディガガは泣き、

ケイティぺリーは前を向き、私たちは憎しみに支配さえた国のたみにはならない。

と言った。

 

www.huffingtonpost.jp

 

そしてマイケル・ムーア

However this ends, that's where we begin.

確かにこれは(アメリカの選挙戦は)終わった。 

でもここから

私たちは始めるんだ。と語った。

 

ね 大統領が決まっただけで未来が決まってしまったわけではないから。

 

 

トランプ

トランプ

 

 

何者  浅井リョウ

twitterでだれかが
若いっていいなってみんな言うけど
朝おきて16歳になってたらめんどくさくて
二度寝するって書いていた。
 
そのことを思い出した。
若いってしんどいなと思った。
 
自分の将来も恋愛の行方も決めなければ
行けない上に勉強だってある。
 
そして少しづつ違う同年代の仲間や家族の状況
や期待が横目に見える。
 
やること、決めることがあふれているのに
圧倒的に経験不足なんだ。
 
 
 
SNSの使われ方
SNSが隠すもの明らかにするもの
の描写が面白い。
 
ある種のSNSをしかけに使いながら
読み手をぐいっと物語に引き込む
仕組みは面白かった。
 
小説のなか出てくる場面というかシーン
は同じなのに
会話の動きで物語が展開していくのが
舞台脚本に近いように感じた。
劇作家、映画監督の 三浦大輔が演出しているところも
そのような原作の在り方が関係しているのだろう。
 
「何物」かになりたくてでも「何者」でもなかった頃の気持ちを
思い出させてくれるだけでも
 
面白い小説なんだと思う。
そんなことを思ってたことさえすっかり忘れてたんだから。
 

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 

 

トーマス・ルフ展@東京国立近代美術館について 選び手としてのトーマス・ルフ

給水塔の作品でも有名なベッヒァー派の写真家

トーマス・ルフのデビューから現在までの流れを一望できる展示


美術大学での学んだ写真家としてデビューしてから
写真を撮らない写真家となっていく流れがわかりやすく一覧できて、楽しい


彼の作品は古びない。

今見ても2010年の作品のように見える。

その理由は、作品がもつテクノのような
無感情で、無機質な特性だろう。

そこには思い出は刻まれていない。
事実が佇んでいる。

http://gadaboutmag.com/wp-content/uploads/2016/09/Thomas-Ruff-Portrat-I.Graw-P.Stadtbaumer-R.Muller-L.Coelevy.jpg

 

 

彼はどんな写真を撮るかで悩まない。

その代り

写真とはそもそもなんだということを考え続ける。

 

フィルムからデジタルデータに写真を構成する裏側が変わるのであれば


フィルムの裏側であるネガ自体を作品にする。

デジタルの裏側であるデータそのものをも作品にする。

 

そして美しい作品を作るためなら他の人のデータを
使うのもためらわない。

コンセプトはがオリジナルであれば素材は
オリジナルでなくても気にも留めないのだ。

それは近年のことではなく
彼のデビューまもないころの作品からそうだと
この展示では明らかにされる。

 

彼は、写真を世界中の過去から現在までの写真を見つめ

その中から自分にとって必要な写真をパーツとして集めDJやキュレーターのように

作品にする。

 

彼の宇宙への傾倒、愛は有名だが
もちろんNASAや各種衛星から提供される
素材は彼の作品にはなくてはならないものとなっている。

ルフの作品について考えることで
写真自体へ想いがわたる 

そんな広がりのある素晴らしい展示だった。

 

www.momat.go.jp

 

 

 

幸福なテロリズム Hi-standardの16年ぶりのシングル ハイスタ

http://natalie.mu/media/1606/0606/extra/news_header_HiSTANDARD_art20160606.jpg

Hi-standardの16年ぶりのシングル発売されましたね。

むちゃくちゃ嬉しかった!

 

しかも事前に告知のない 或る日突然舞い降りた

テロ・リリース。

 

実際に商品が動くCDの販売で事前に商品の販売の情報が一切漏れないということは店舗、スタッフの全面的な協力がなければ成立しないだろう。

 

しかも誰もが告発者になれるこのSNS全盛の時代に。

 

現実には、情報は漏れず 加えて

CDの発売の瞬間には愛の溢れたポップがお店の一番でかいポジションを飾ったのだ。

 

きっとバレないように秘密を大事に抱えながら

どでかいポップを隠れて準備していたんだ。

 

これはアーティストと店舗の幸せで強い信頼関係をベースにした

共犯関係でなくて何だろう?

 

あくまでCDというCDショップという実態を伴った現実から

巻き起こった事件がSNSなどインターネットを使って

拡散していくことには何とも言えない快感があった。

 

音楽は情報じゃない手にとることができる実態なんだ。

CDショップには街にはまだまだ面白いことが起きてるんだって

 

このアーティストと店舗、街の共犯関係がぶっ壊したのはプロモーションとSNSの使い方だけ。

破裂させたのは音楽の喜びだった。

こんなテロリズムなら大歓迎だ。

 

収録された4曲の楽曲はハイスタらしいシンプルで力強い

スリーピースのパンクサウンド

転調も派手なボーカルエフェクトもない。

いや、必要ない。

ギター、ベース、ドラムの三つの音が緊張感を持ちながら

組み上げるバンドサウンドがハイスタが帰ってきたことを高らかに宣言する。

 

一曲目のTouch you

ギターリフで始まりドラムが追いかけていく。

ギターよりソリッドなドラムのリズムとそれを補強するベースの印象が強い

ハイスタの疾走感を緊迫感のあるリズム隊がスケートボードとなり加速させていく。

 

歌詞はヒーローについて歌う。みんなお前に触れたいんだって。みんな太陽が欲しい

んだと でもそのヒーローは震えているんだ。

間違いなくハイスタ自身についての歌詞だろう。

 

ブルーハーツ甲本ヒロトさんが

常に過大評価に苦労してきたインタビューで

語っていたのを思い出した。

ハイスタもバントとして、常に大きな歓声とそれに伴う期待を、受け続けてきたバンドだ。

 

2011年の大震災をきっかけに再結成したが新曲のレコーディングがここまでなかった。

 

伝説的な存在となった自分たちが10年以上ぶりに新曲をリリースすることに対する強いプレッシャーとそれに立ち向かう緊張感と、強い意志が伝わってくる。

 

2曲め 表題曲の Another Starting Line

はハイスタらしいコーラスも気持ちがいいミドルテンポの優しい曲 

歌詞も自分たちと同世代に向け語りかけるような自分たちと同じように

いつでもまた始められるだろうと 励ますというより自分たち自身に

語りかけるように歌う。

 

お前が主役だと歌うNothing to Lose

止まない雨はないと歌う Rain Forever

 

ここで僕は確信する

Growing upで失敗したらいつでも帰ってこいよ

と言われ  いやもう一度やってみるよと言っていた

あいつが帰って来たんだと。 

 

ライナーノーツの最後にはこう書かれていた。

 

Its been a long time, we are back Hi-standard

 

おかえりハイスタ!!!!

AIR JAMでもよろしく!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

写真家の目に映る滅亡と廃墟。その先。 杉本博司 ロスト・ヒューマン 2016-Oct at東京都写真美術館 

杉本博司のロストヒューマン展がすさまじかった。

杉本博司は写真家じゃない。 

コンセプチュアルアートの作家なんだと

叩きつけられたようだった。

 

2年の長期休館から復帰する日本を代表する写真美術館である

東京都写真美術館

その総合開館20周年の記念展覧会が

世界中で評価される写真家、美術家杉本博司のロスト・ヒューマン展だ。

 

杉本博司作品のファンの私は、楽しみにでかけた。

彼の歴史の集大成のような展示を期待して。

ただ、入ってみると

その展覧会の広大のフロアにはほとんど写真が出てこない。

 

それにまず驚いた。 写真美術館の復帰一回目の展覧会で写真がなんて!

しかも杉本博司の展示なのに!

 

写真の代わりに

廃墟のような未来のような。映画のセットのような空間が広がる。

作者の言葉を借りればそこは文明の廃墟だ。

 

 

 

その文明の廃墟の中ででいかにして人類が滅んだかを政治家、コンピュータ技師、漁師など様々な立場の登場人物が語る手紙が置かれる。

 

一枚だけ入り口に置かれる彼の作品

<ガリラヤ海 ゴラン>

彼の作品の特色は大地と海と水平線だけの絵画のような

原始の人々も私たちも同じに見たであろう

変わりのない世界を映したような作品たちだ。

 

 

http://www.cinra.net/uploads/img/news/2015/20150909-sugimotohiroshi_v.jpg

 

 

彼の文明の廃墟のインスタレーションを見ていると

この作品たちが世界中から人類は失われてしまい。

ただ、人類のない地球を海と大気を映したんじゃないかという気がしてくる。

 

そしてこの人類終焉を見届けた人たちの言葉に杉本自身の

現代へのメッセージ 作家としての矜持そして少しのユーモア

がこれでもかと繰り返し込められている。

 

一節だけ引用する。

 

”今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。後記資本主義時代に世界が入るとアートは金融投機商品として。株や国債より高利回りとなり人気が沸騰した。若者達はみなアーティストになりたがり、作品の売れない大量のアーティスト難民が出現した。ある日突然、アンディ・ウォーホールの相場が暴落した。キャンベルスープ缶の絵は本物のスープ缶より安くなってしまった、そして世界金融恐慌が始まった。瞬く間に世界金融市場は崩壊し、世界は滅んでしまった。アートが世界滅亡の引き金を引いた事に私は誇りをもって死ぬ。世界はアートによって始まったのだから、アートが終わらせるのが筋だろう。

 

現代のアートの状況の批判危機意識、美術家の矜持、ユーモアが絶妙なバランスで配置されていて気持ちがいい。

 

今回の展示は3階(入口)、2階にわたって展開されるが

2階ではかれの作品 劇場の発展系ともいえる

廃墟になった劇場にスクリーンを張り直し撮影した

ロストヒューマンの展示の意味合いを受け継いだ新作

<廃墟劇場>

が展示される。

ここにも彼の短いメッセージが加えられ そこにある写真と

言葉が私たちの中で私たちだけの映画を映すよう促す。

 

そして最後には33間堂の仏像を10年以上にわたり撮影し作品にした

<仏の海>が広がる。

 

杉本博司は68歳の高齢といっていい作家である。

だから、回顧展のようなものを期待した私は本当に愚かだった。

 

彼は今も新しい作品を表現形態の幅をも拡げながら世に問い続ける

現役のコンセプチュアルアーティストであり写真家だと

世に示す素晴らしい展覧会だった。

 

世界は滅んでも彼の創作意欲はその滅んだ世界さえ飲み込んで

拡がって行くんだ。

 

 

SEASCAPES

SEASCAPES

 

 

 

 

 

苔のむすまで

苔のむすまで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポンサードリンク