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dailyclubselect’s diary

音楽、文学、写真のLIVEレポート

小澤征爾さんと音楽について話をするについて 村上春樹著

小澤征爾さんの甥のオザケンフジロックのニュースを見て思い出したのだけど

 (騎士団長殺しでも話題ですね。)

 

最近、村上春樹小澤征爾さんの対談を読みました。

印象に残ったのは二つ
ひとつは

村上春樹が小澤さんに
音楽というものと同様に文章もリズムが大切で文章は句読点の位置やセンテンスの長さ、文章の硬柔によってリズムをつくるんだと話していて

そしてその文章を読んだときのリズムがよいか悪いかでその文章家の力量がわかる。
という話をすると小澤さんが

音楽にリズムがあるというのは考えたこともない、よくわかりませんと答えていて
(のちに読みにくい文章というのはあるけどあれがリズムがないということですか?とは話されていたけれど)


わかるじゃん!!
とおれは思ったけれど
考え直してみると
小澤さんにとっての「音楽」というものと
音楽家以外の私では
「音楽」そのものの範疇がちがうのかもしれない
と思ったのです。

小澤さんの音楽はリズムやコードがあり
楽譜で示され、なにより指揮できるものだ。

そうでない概念としての音楽的なものや
文章にあらわれる句読点や
センテンス、文章を一度に読むペース
もしくは文章の硬柔で変化する一度に読むスピード。
もしくは思想的な意味で使われるロック
など比喩的に音楽に似ていると我々が感じる
音楽に近い要素自体は

彼にとっては
音楽そのものとは完全に別なものと認識されているのではないか?

彼にとって音楽はあくまで殺し屋が肌身離さず持つライフルのようにどこまでも現実的で、すみずみまで分解してその後に組み立てることかできる曖昧さや雰囲気で理解できることなどあってはならない冷たく、確かな個体なのではないかと
そう思ったのです。
そしてそんなふうに音楽をとらえられるのはとてもうらやましいと心底思ったのがとにかく心に残って。

もう一つ印象的だったのは
小澤さんに村上さんもぜひ楽譜を学ぶようにと熱心にすすめていたことだ。

楽譜を学ぶとより音楽がわかるようになるからと
そして小澤さんがお金がなくレコードを買うこともできないときは
ひたすらに楽譜を読んでいたという話だ。

だから東洋人でも楽譜を読めば西洋人のつくった音楽も理解できる
と力強く語っていた。

それは東洋人でありながらウィーン国立歌劇場音楽監督などクラシックの中心地で彼のやってきたこと、成し遂げてきたことをそれが証明してるんだなと納得しながら

同時に何より思ったのは
楽譜を読みながら聞こえてくる音楽はきっと素晴らしいのではないかということだ。

音楽は極論すれば空気だから自分の外の環境からあくまで僕たちが受け身の状態
で聞かされるものだ。

ただ、楽譜を見ながら自分の音楽を立ち上げることができれば
それは、自分が聞いた理想的なバイオリンや
忘れられないホルンの響きを
自分の内側から音楽に再構成できる。

外からではなく内かは音楽を奏でることが可能になる。

それは最高の音楽の楽しみなんじゃないか
それは統制されたどこまでも、美しいごく個人的な夢だ。


そんな音楽の楽しみ方ができるなら
僕も楽譜を読もうと勉強を始めている。


まだ音楽は聞こえない。
ただ、リズムは、どこか遠くの太鼓のように聞こえ始めている。

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